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西浦 寛卓

 

 

幼少期

1978年 大阪府堺市に産まれる。
3歳からピアノを習いはじめるが、
すでに習っていた姉の練習が耳に入ってきてたので、習い始める前にどれが何の音か分かってました。
いわゆる軽度の”絶対音感”がピアノを習う前に身についてました。
しかしピアノの才能は皆無。

得意なことと言えば、やたら将棋が強かったのと、
パズルを覚えるのが妙に早かったことぐらい。

ピアノは15歳まで習うが才能が開花することなく終了。
(最終はモーツァルトの”トルコ行進曲”ぐらいまで)
今思えば、あんな練習をさせられたところでピアノが楽しいはずもないので、当然の結果でした。

 

小学校

たくさんの習い事に追われる日々。
ピアノ・そろばん・公文・水泳・バイオリン・ソフトボール。

4~5年生のころはバイオリンを習い、町のオーケストラみたいなところに入るが、
案の定、全く才能なく終了。
鼻くそをほじった手で握手を求めてくるおじさんがいてすごく嫌だった。
しかし、様々な楽器を目の前で見聴き出来たことはそれなりに意味があったかと思います。

公文では数学の才能がそこそこあったみたいで、
小学校4年の頃には高校課程を全て終了。
この早熟さが見事なぐらい後のサボリ根性につながる。

将来の夢は野球選手。
音楽なんて苦痛で仕方がなかった。

 

中学校

なんとなくバスケ部に入る。
一番うまいヤツが転校し、
ライバルの一人が肺炎で入院し、
もう一人のライバルが本番に弱いという性格だったため、
レギュラーを勝ち取る。

だがスポーツにはそこまで本気になれず。

中1の頃、シーケンスソフト ”レコンポーザ” (パソコンで楽譜を書いて作曲するソフト)を買ってもらい、
家で一人曲を作ったりしてみる。
ただ、ピアノとバイオリンしか知らなかった私は「コード」という概念を知りませんでした。
しかし曲作りをしていく中でコードがどれだけ重要かということに気づき、中3の頃からエレキギターをはじめる。

また、中3の文化祭の時に友人たちとバンドを組んでライブをする。
バンドではボーカルで、BOOWYとZIGGYのコピーなんかをやりました。

 

高校

部活は何故か応援団に入る。
3年の頃には応援団長を務め、それなりの青春を味わう。

高校はひたすらエレキギターを弾く生活。
“コードを覚えるため” にはじめたはずのエレキギターだったのですが、一発でロックに夢中になりました。
ひたすらエレキギターで速弾きとリフを引き続ける日々。インフルエンザで高熱がでても弾いてました。

好きで良くコピーしてたのはEXTREME
ヌーノ・ベッテンコートの大ファンになり、ギターのチューニングは常に半音下げでした。
ギターを半音下げでチューニングしたりすることによって、
それまで絶対音感で音楽を聴き演奏してたことがどれだけ愚かだったかを思い知らされる。

文化祭では3年連続EXTREMEのコピーバンド(ギターボーカル)しましたし、
別のバンドではドラムもしたり、オリジナルのバンドでは作詞作曲も担当してました。

高3ぐらいから本格的にTHE BEATLESにハマっていき、
アップルの屋上ライブに憧れた私は、
昼休みに機材を持ち込んで中庭でゲリラライブもしました。
すごい人が集まって楽しかったですよ。
次の日の職員会議でえらい問題になってましたけど 笑

 

高校卒業後

18歳の頃は、大阪の心斎橋の路上でビートルズとミスチルを歌ってはおひねりをもらってました。
酔っぱらいや怖いおっさんや警察官やホームレスやお水のねーちゃんや出稼ぎの外人や孤独な人やなんやかんや、
色んな人と接触した経験は今でも役に立っていると思います。

その後、大学も行かず、15畳ほどのプライベートスタジオに籠っては、
ひたすら音楽の勉強、練習、作詞、作曲、レコーディングを独学する日々。

この時に独学したことは今でも自分の基礎になっていると思います。

当時組んでいたバンドは3人編成で、
私はギターボーカル・作詞・作曲を担当。
音源ではピアノも弾きました。
また、レコーディングは全て私が担当。

バンド自体はライブ活動をして半年ぐらいで、専門学校主催(私は通ってませんが)の音楽業界に向けた公開オーディションライブに出演し、
見事優勝。
一気に周りのバンドとは違う軌道に乗り、
ライブ活動1年経たないうちに大阪クアトロでメジャーアーティストなんかと共演していました。

その後、バンドで東京へ行き、
CD作ったりラジオに出演したりもしましたが、メンバーが抜けたりであまりうまくいかずに解散。
まあ、今思えば当然かなって思います。

 

レコーディングエンジニア

そして24歳の頃から1年ほど、横浜仲町台のスタジオ「STUDIO-O-PARTS」にて、
レコーディングなどのスタジオワークを学びました。

その後、自分でも機材を買い、大阪のプライベートスタジオでインディーズバンドのレコーディングをしたり、
個人的にボーカルレッスン、ギターレッスン、また作曲のノウハウやDTMの基礎知識を教えたりしていました。

自宅スタジオだったということもあって、仲の良いバンドやアーティスト達と朝まで飲んだりしながら、
音楽のいろいろを楽しめたのは最高の想い出です。
中には現在メジャーで活躍してるバンドや、インディーズの世界でかなり有名になってる人もいます。

 

鳥取県米子市へ

2013年9月 鳥取県米子市へ移住。

・2013年9月〜 米子市内のスタジオにて出張レコーディングを開始すると同時に、ボーカル・ギター・弾き語り・作詞作曲・音楽理論・DTM・レコーディングなどのレッスンを開始。

・2014年5月〜 コミュニティFM放送局「DARAZ FM」にてとある番組のメインパーソナリティ及び収録・編集を担当(2015年3月まで)。

・2014年8月〜 ダンスボーカルユニット「Sign」の音楽プロデュース担当。

・2015年3月〜 米子市旗ヶ崎にて自身の音楽事務所「西浦ミュージックスクール 〜Dear Musicians〜」を開設。

・2015年12月〜 TSUTAYA角盤町店3F「角盤町4丁目STUDIO」の専属音響を担当。

・2015年12月〜 TSUTAYA角盤町店3F「角盤町4丁目STUDIO」と連動したミュージックスクール・チーム「soundream」(サウンドリーム)を立ち上げる。

・2016年7月〜 米子市西福原に事務所を移転。

・2017年1月〜 株式会社キャドステーション 米子音楽事務所として法人運営に移行。

・2017年6月〜 現在の事務所である米子市末広町に事務所を移転。レッスン場所は事務所とTSUTAYA角盤町店3階「角盤町4丁目STDUIO」の2ヶ所で行っております。

 


西浦ミュージックスクール 〜Dear Musicians〜
ミュージックスクール・チーム 「soundream(サウンドリーム)」

鳥取県米子市の音楽教室です。
ミュージックスクールチーム「soundream(サウンドリーム)」の運営・プロデュースも行っております。
ボーカル、エレキギター、ギター弾語り、ピアノ弾語り、作詞作曲、コード理論、DTMのレッスンなら是非お越しください。
お気軽にお問い合わせください。

(電話) 08042672442
(mail) nishiurahirotaka@dearmusicians.com
(住所) 〒683-0043 鳥取県米子市末広町267


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